リビアの政変 独裁者について

リビアカダフィ大佐と言えば誰しもが、「あ、何だか聞いた事ある」と言う名前のはずです。何で一国の首長なのに階級が大佐止まりなんだろうとか、多分よくありがちな軍隊のその地位に居る時にクーデターを起こして実権を握ったんだろうなとか、いかにもテンプレな途上国の独裁者の例でありながら未だにその地位にある点などにも驚きを覚える事かと思います。

さて、本題はリビアそのものではなく、こう言った話を聞くとき、何故だか心の奥底だか片隅だかで独裁者側に心情的な肩入れをしてしまっている自分に気付き、それは何故だろう?と考えた事です。
まず、第一には詳しく知らない事が考えられるでしょうか。即ち独裁者は少なからず、民族浄化などの虐殺行為を行っている場合が多いですが、そういった戦争犯罪は政権が倒れて追求の手が入るまで暴かれない事が多い、よって本質的にもっと嫌悪の原因となるべき理由が、自分に知られていない事があるかと思います。実際カダフィ大佐の写真を見たのは今回が初めてなのですね。
第二は、個人的な魅力でしょうか。独裁者には少なからずカリスマがあります。一般にカリスマと言うと、偉大な人物や歴史的に偉業をなしとげた人にあるものと思われがちですが、そんな事とは関係なしにカリスマはカリスマだけで独立して個人に備わる特徴の一つで、背が高い低いとかそういうものと変わりありません。ただ、人を惹き付けるオーラーを持っている(だけ)ので、この人は何か立派な人なのではないだろうか?と周りが錯覚してしまうだけですね。
そして少なくとも独裁者は強烈な自我と信念の持ち主ではあります。キューバカストロ議長などは、革命成功時から一貫して信念を持ち、それをずっと貫いている姿勢自体には立派さを感じる人も多いのではないでしょうか。
第三がそもそもの前提への反感です。民主主義が良くて、一番良い政治体制だなどと誰が言ったのでしょうか?また、本当に民主化すべきなのはサウジアラビアのような国であって、物事はアメリカの利益になるかならないかで決めるものではありません。
二十歳手前の男性のいくらかは、ある程度独裁について許容的な態度を示す事がありますが、それは一つの理想論として超人的な個人が絶対的に正しい政治を行ってくれたらいいのにといった考え方があるせいですね。
まぁ、それは全ての人間が良識を持って行動し、全くの無政府状態でも国家が正常に運営されたらいいのにと言うのと何ら変わりの無いレベルの願望であるし、実際には"独裁者になる事によって"理想を持った一個人が腐敗していく事も多々あるわけですが。「民主主義は最悪の政治体制である、ただし、それ以外の全てのものを除いて」等と良く言われますが、実際に頭で考えるだけだととても良くない事だらけなんですよね。
そして最後に、若干被りますが、独裁者と言うもの自体への肩入れ、あるいは逆に独裁者への無条件の批判への反感です。それは何百万人も虐殺を行えば、ヒトラー悪人でしょう。しかし、それで無教養だったとか欠陥人間であったとか、個人の人格や資質などを不当に貶めて喜ぶような風潮はどうかと思います。
そもそも、「とりあえずヒトラーを批判しておけば私は良識人です」と言ったスタンスの物言いが気に食わない。独裁者=悪とアレルギー反応的に脊髄反射で結論を出してしまって、思考停止していては事実を見通す目を持てないという事ですね。