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レトリックや言葉遊び、それに"弁論法的"な展開とでも言うんですかね?多分、"異常"な意味でセリフとストーリが分離していないのかな?(時々ホントにごっちゃになってるけど。)
私もさすがに「あはは、面白いな」と受け流しているけれど、文章のアクもかなり強いかな?
「人として死ななかったものは、意味を消失してもはや人ではない。」
「目撃されなかった犯人の目撃情報には理由と意図がある。」
「目の前に本物がいる。それ故に前のものは偽物だったとなる。」
みたいな"セリフで押し切る"とか。
ただ、これって、「因果律に従って出来事が起こり、実験と計算によって発見された物理法則が成立する」と言う考え方に対して、「論破されない議論は正しい。その論理的整合性の為に、時として結果は原因を改竄できる。」と言う別な世界の見方を示しているとも言えるんですよね。
前回の剣道の話で言いますと、「物体には速度と加速度があり、強い力を加えるほど加速度は大きくなる。加速すればするほど速度は速くなる。」と言う現代的な視点に対して、「剣で斬りつけるには、振る動作が必要だが、その為にかかる時間修練を積むめば短く出来る。鍛錬を続けていけば、いつかはその時間を全く無くすことが出来る。」と言う思想な訳です。
"斬ると決めた瞬間に無時間で斬っている"と言う事が剣術の"原型"なのかも知れません。(笑) (しかし、これも冗談ばかりでもなくて、たとえば斬りあいで素早く云々と言う以前にとっとと斬ってしまうとか、あるいは斬りあいもせずに相手を降参させてしまうとか、そっち方面に思想的に展開していける訳です。)(宮本武蔵孫子。映画の"HERO"の中で始皇帝が"剣"の漢字を見た時のセリフ)

うまく言えませんが、過去の人が科学的に間違っているから蒙昧なのではなくて、現代の人は、また現代的な思考に捕らわれているんです。


(*10)岡田斗司夫は、「アニメと批評」(ユリイカ掲載)の中で、作品(本)と製作者の間に漂うフワフワとしたもの。そして、作品と読者の間に漂うフワフワ、それこそが作品の本質なんだ、それはムスメ(作品)と婿との2人だけの思い出のようなものだと言っています。
木城ゆきと

    • 「この人が感激しているこの銃夢は、本当に俺の知っている住夢なのだろうか・・・?」と思う。それほどに作者の主観と読者の主観は違うものらしい。紙にのったインクの総体としての作品は、読者の脳をインスパイアする媒体にすぎず、読者は脳内のイメージにドーパミンをドピュドピュさせるのだな、きっと。--

と書いています。

BSアニメ夜話は、まぁ、思ったほどつまらなくは無かったです。だけど、やっぱりBSマンガ夜話が一等上等に感じるのは、マンガ家が、作品を脳みそから取り出す過程について、それこそ画力の向上から、取り出すのではなく続け育てる、その雰囲気まで含めて総合的に語られてるからなんですね。
なんと言うか、「あぁ。作っているなぁ......」と感じます。
「赤ちゃんはどこから来るの?」と言う質問に、真ん丸い緑色のボールの畑とか、新幹線のモデルになった鳥が運んでと言う解答が出来なくなった時、アニメは実は人間が考えて、お金を集めて、描いて作っているんですと言う現実を知った時、"どう作られていくのか"もまた楽しめる1つの事柄ではあります。(それは"原型"にとっての本題ではありませんがね。)