ながーーい

レスを人につけた時に、ついでに保存しておこうと思う心理の奥底は何なんだろう。


> オタク論のテーマにもけっこう流行り廃りがあるのですよね。
なるほど、私などは、"(オタク的な)上の世代"を眺める感じから前述のような感想を持っていましたが、
その変遷をある程度のスパンで眺めてくると、また興味深い所があるのでしょうね。(もちろん言ってる内容自体は分かります。)

しかし、こう言っては何ですが、インターネット掲示板-例えば2チャンネル-等は、読むとか内容云々以前にむしろ見るに耐えない。
色々な慣習とかルールとかスラングとか、独自の"ネット"文化は形成されてはいるようですが。
ネットオタクと言う言葉は、少なくとも他のオタクと同じような文脈・意味合いとしては発生してないようですが、わたし的には、やはり、好む好まざるとに関わらずその辺りが、"次代"のオタクの土壌かなと感じています。
(ニコニコ動画とかも1年位は、どうにも慣れなくて見たりするのは嫌でしたね。)

>エキセントリック
まぁ正直、外からの視線みたいな論外なものの話はいいですよね。
そう言う意味合いでなら一般人社会の文明レベルは、まだ産業革命も起きていない位です。
例えば上の2chに関しても、それなりに有意義と言える解説書を出したのは、中からと言うか、"2chネラーの中で日本語能力を残していた"人でした。
(これに関しては是非外から視線も欲しいですけどね。)

どちらかと言うと、私が思うエキセントリックとは、例えばゲルダム団の幹部の来歴について歴史・社会学的に推察するであるとか、アニメの月がデカイ理由を物理学的に検討してみるとかですね。
(遠くから望遠で撮ると、拡大比率の問題で大きくなるんです。)
何かで聞いた話ですが、20世紀初頭のイギリスでは、パブでシャーロック・ホームズの固定資産税と言ったナンセンスな話題に、真剣に会計学等の観点から論議してみると言った知的な遊びが流行ったそうです。
何となく理解できる話ですし、そう言った所に二次非創作の楽しみの本質があるような気もします。

>意味が変わる
オタクとオタク論を使い分けるとかヌルいの意味の変遷、そう言った話を聞くにつけ、使用文脈とか単語の意味範囲や格付け、(プログラム言語的な意味での)クラスの違い、そしてニュアンスなどの個人ごとのズレを感じますね。中でもオタクと言う言葉は幅が大きい。
「じゃ、お前は全部の単語を辞書で引いて調べたのか」などと言うのは、よくある水掛け論で頻出する論法の一つですが、心情的に言えば私の立場はこれに近いですね。
小さい頃の習性にもよりますが、本を読んで初めて見る言い回しが、やがて二度三度と違う所で登場する。それらを総合して、大体の意味を類推(とまでは行かずに雰囲気を想像)と言う方法、それが多かった。
辞書の説明なんかにも「うーん、これは何かしっくり来ないなぁ」とか何様だお前はと。(笑)
だから、なんと言うか本質的には言葉って言うのは、それぞれに個々人がバラバラに何らかのイメージを対応させているもんだと思ってます。
話し合いをするなら刷り合せが必要ですし、また辞書的に意味を定義したいと思っても、ページどころか本やら論文やらが何冊と必要と言ったレベルになるかと思います。

まぁ、そう言うコンプリケイテッドな所が良いですし、お互いのオタク観を聞きあって有意義に時を過ごせれば十分と言えましょう。

>おもな更新
2-3読ませて頂きました。

プリキュア仮面ライダーそして(すこし前ですが)Fateとヒーローについて。
真に利己的な人間は、著しい人格破綻者でない限り、他益的な行動を取る。「あなたが幸せそうしてるのを見ている自分が好きだ。」ってヤツですね。
アニメ自体については必ずしもオタクでもないので、プリキュアとかは努力しないと見れないと言った分類なのですが、最近見てみようかなと思いつつあります。

仮面ライダーのようなヒーローについて、悪の組織側の視点から地球征服を目指すゲームだとか、財政に四苦八苦して戦う庶民感覚的ヒーロー(ダイガード大好きです)と言った、二次思想的作品が沢山生まれて行ったのも、その構造的問題を映しての事かもしれません。

Fateは、ヒーローではなくストーリとエピソードに着目していくと、正義とか道徳とかの価値観の見本市のようなものと見て取れます。
桜ルートで示されるのは、「愛する人を守る為に全世界を犠牲にする。それもまた正義なのではないか」と言う考え方ですね。
他にもhollowでは、葛木先生が暗殺者だった過去には「用途に関わらず、道具の善悪自体は性能の高さだけで決まる。人もまたそうではないか。」と考えていたり、アーチャーが子猫を助けた後に色々ごちゃごちゃ言って思い悩む(正義の押し付け、自己顕示、依存心の高まり)、Zeroでは切嗣が無垢な楽園を夢想しつつも実際にはひたすら殺しまくるが、常に死亡人数が最小になるように計算していてそれは一つの方法ではある。。
各キャラクターの生き方の違いが、これも正義と呼べるのではないか?こう言った論理のすり替えも成り立つのではないか?と言う実(?)例に満ち溢れています。
ギル様の「我が一番偉い。だから我の思い通りにやるのが正義」とかも含めて。(笑)

最近話題の、ハーバード白熱サンデル教授の話に、首切り列車のレール切り替え問題があります。
(実際には、そんなに浅薄で一般向けな内容でもないですけどね)
止められない列車が、線路に転がる5人をひき殺しそうな時に、1人しかいない引き込みに線路を切り替えるべきか?と言う話ですが、私に言わせれば設定が甘い。(笑)
ポインターの切り替えが直接的に1人の方の死に結びついていないからですね。
アニメから道徳が学べるかとか、エロゲが哲学的問題の思考実験の題材として使えるかとか、実は真の実用性って商業面ではなくて、むしろそっちの方向だと思うんですよね。
ちなみに、真に人道的な行動を取る時、その行動は非道徳的に見える時もあると言う命題について、私のお勧めのアニメは戦闘妖精雪風第2話です。(文章がおかしい? 笑)


エヴァとか文学的臭いについて。
アニメは文学作品たりえるのか?
エヴァは面白かった24話までより後についても、その問いを発したと言う事では意味はあるとは思います。
少なくともフォローをするために、BSアニメ夜話とかで、そこまでの事を言わなければならなかった訳ですね。
いや手抜きだろう?!
実験的な事をするにしても、それには実際の内容とそれまでの実績や信頼が必要と言う事ですね。

そう言う分類で行きますと、私が思い浮かべるのは、文学的"手法"と言う意味でですが、エンドレスエイトですね。
いや、実はまだ見てないんですが、放映に関するあらましを聞いた時に、「素晴らしい!!」と叫び(そうになり)ましたね。
(まぁ、原作は一周なんですけども。)
パラレルワールドや時間ループをあらわす表現として、実際に似たような内容のアニメを何度も流すと言う行為自体が、アニメの技巧としてメタ的視点も含む進化した文学的試みとして、(高い)評価に値すると思います。
さすがに京アニだし、手抜きじゃないんでしょう!?(いや、皮肉ではなくて。)

それにしても、何度聞いても意味の分からない言葉だと思っていたら、セカイ系って分類自体が本当は無かったんですね。
(何かで解説を試みた本においても、その最右翼たる作品がそもそも条件に該当しないと書いていました。)
もちろん、そう感じると言う"ニュアンスの伝わらなさ"自体は大切なものですが。
中二病とかも、分かりませんねー。分からないけど、3割くらい意味は通じるんですけどね。(笑)