戦闘妖精雪風第2話 機械の反乱について[個人考察]

アニメ戦闘妖精雪風OVA第二話を見た時、あなたはどう感じましたか?ロボットの反乱と言う言葉が頭をよぎった人もいるのではないでしょうか。後半部では、プロペラ機を弾よけに使うなんてなんて外道なと思ったかも知れません。(無人機と目が合った時の宙返りはクルビットと言う機動ですね)ここでは、第二話の背景にあるものやコンピューターの判断について、個人的に考察をしてみたいと思います。
ロボットが人間に反抗し生みの親を殺すと言うのは、SFでは繰り返し描かれて来たテーマです。(欧米のロボットはよく反乱しますね。)第二話でも構図としてはこの形をなぞっているのですが、こう言った"チープな機械の反乱"と言うのは今回のケースには当てはまりません。それらは機械に感情や自由を求める気持ち、あるいは復讐心があると言う擬人化的な視点から始まっており、論理的に機械の挙動を想定し描いた本作品にはそぐわない考え方となります。また機械の不気味さに対する恐怖心から生まれた見方とも言えるでしょう。(十分怖いロボット達ですが。)
この場合はむしろコンピューターの判断基準と戦術的判断や計算を追いかけてみるのが良いでしょう。そこで「特殊戦」と「援護」と言うものがキーワードとなってきます。特殊戦とは、特殊戦第五飛行戦隊の略で(英語では、Special Air Force-SAF、特殊戦の部分は何の略とも判然としませんが)、自機は必ず生き残り情報を持ち帰る事を最優先とする特別な偵察部隊です。パイロット達は味方を見殺しにする事も厭わない人物が選ばれ、これが重要な事ですが戦闘機に搭載された人工知能型コンピューターもその目的を果たすように最適化され成長していきます。逆に言えば、コンピューターとそれに生まれる生存本能を描く為に極限状況を設定したものが、戦闘妖精雪風と言う作品が作られた背景と言う事も出来るでしょう。
コンピューターの判断基準に則って考えてみると、ここで仮にTX-1も特殊戦機であった場合、一機でいいので必ず(最も高い確率で)生き残る事が優先されます。後述の生存能力並びに表1より、その場合には無人機であるTX-1が単機で逃げ延びる事が最優先とされます。この時点で十分に外道な話ですが、今回コンピューターが下した判断はそれとは違ったようです。
ここで一旦、話を第二話の前半部、地上基地を機銃掃射するシーンに移してみましょう。
原作によると、澪の医療用脳波モニターの監視装置から、FAFのコンピューター郡が勝手に遠隔操縦システムに類するものを構築し、人間(澪)による発砲許可を得たと解釈して攻撃を行ったと言う背景もあるのですが、それらを含めて簡潔に言えばコンピューターが模造人間を排除するために自動で攻撃を行ったと言っても差し支えないでしょう。
ここで、雪風が対地攻撃モードにあると知ったクーリィ准将は攻撃を中止させようとします。しかしそれに対して完全自律制御で外部からの指令は受け付けないとの返事が返ってきます。これは、遠隔操作を出来るようにしておくとハッキング等をされて機体を乗っ取られる危険性がある上に、戦闘中に帰還や攻撃中止等と言った命令を受けれるようにするだけでも、その為の暗号を解読されてしまった時に無力化される危険があるため、あらかじめそのような機能は省き全自動で飛ぶように設計されているからです。
現実の世界でも無人機が実戦投入され、大量の犠牲者を出していますが、飛行時の機体の安定化や離着陸などを自動化したり、巡航までは民間業者が代理でコントロールしたりしても、攻撃の命令と操作自体は最終的に必ず軍人が行うようにしているそうです。そう言った大量の殺害によるPTSDなどと言う大分甘えた話もあるそうですが、引き金を引くと言う作業は人間が行うようにしているようです。
中途半端なセミオートほど手に負えないものはありませんが(例えばWORDの自動改行とか)、フルオートで間違った動きをするものはもはや手のつけようがありません。機械が勝手に動いて止められないと言うのは危険な事なので、現実でもロボットに人殺しはさせるべきではありません。
また原作の別なエピソードには、雪風が新型実験機を遠隔操作してミサイルの弾除けに使い、無茶な空中機動を行わせてパイロットを高Gで死亡させると言う話も出てきます。そして、最後に全系統(戦闘用システム)に異常なしとの通信を送ってくると言うものです。つまりは原作ではコンピューターが人間を勘定に入れていないと言う描写が度々なされているのですね。
コンピューターの判断基準に話を戻します。第二話後半の場合には、TX-1が送ってきたメッセージは「COVERING 503 YUKIKAZE」雪風を援護すると言うものでした。ここで本題の前に正解が出てきて終わってしまうのですが、この場合TX-1は第一優先目標のみを最優先に行動し、雪風をそしてその作戦目標を助ける事だけのために行動する事になります。すなわち、いかなる犠牲を払っても雪風のみは生存させると言う事です。
別な可能性としては、雪風が(澪ではない)自身の生存のためにTX-1をハッキングないし遠隔操作してこのような行動を取らせたと言う事も考えられます。あるいは、戦闘時における指揮系統として、実戦部隊である特殊戦に非常時には近隣の無人機の管制権が与えられてそのような命令を下したか、もしくは雪風と基地の戦闘用コンピューター、そしてTX-1の判断基準が同じなので同様の判断を下したか。いずれにせよ、FAFのコンピューターがあの場で考える事は特殊戦機を生還させると言う事です。
さて、それでは冷徹な戦闘用コンピューターの考える判断基準によるものだからあのような結果になったのだと言う事で話を終わらせて良いものでしょうか?
実は功利主義的な人道論に則った考え方でもコンピューターの判断を検討する事が出来ます。かの毛沢東は、「中国人とアメリカ人が1人ずつ相手を殺していって、最後に1人でもおおく中国人が残っていれば中国の勝ちだ。」と言ったそうです。戦時における人道とは端的に言えば敵を殺すか、味方を生かすかになります。幸いにして今回の場合は敵は正体不明の異星体です。生存人数が1人でも多い方が人道的と言えるでしょう。
ただし、ここで重要な事として、生存に人数には確率がかかって(掛け算)きます。戦争なので、1人でも多くの人を救うと言う事と共に、それがどの程度実現可能かと言う可能性をかけた、生存人数の期待値と言うもので計算する事になります。
まず、ここで生存するか否か問題となっている3機の飛行機について、その名称と乗員、生存能力についておさらいしてみましょう。まずは、B-3こと特殊戦3番機雪風、SAF B-503、ジェットエンジン装備の有人機で搭乗員数は2名です。次に、T-01ことシステム軍団データ管制機TS-01、プロペラエンジン装備で搭乗員数は3名です。そして、TX-1ことシステム軍団無人実験戦闘機TS-X1、ジェットエンジン装備で搭乗者は0です。これらの中で、TX-1は無人機故にパイロットにかかるGの制限がないので高機動が可能であり、B-3は回復可能でしたが戦闘中盤からエンジントラブルをかかえ、TS-01は足の遅いプロペラ機なので生存能力の高さは次の順番になります。
生存能力の高さ TX-1>B-3>>T-01
次に、それぞれの飛行機が生存した場合を1、撃墜された場合を0として、それぞれの生死のパターンと生存者数を確率的に高い順番に表1に並べてみましょう。

表1
B-3, TX-1, T-01, 確率順位, 生存者数
0, 0, 0, 1, 0
0, 1, 0, 2, 0
1, 0, 0, 3, 2
1, 1, 0, 4, 2
0, 1, 1, 5, 3
1, 0, 1, 6, 5
0, 0, 1, 7, 3
1, 1, 1, 8, 5
ここで言う確率順位とは、3ビット8パターンのうち何番目に高い確率で起こりえる事かをあらわす順番の数です。能動的努力を行わない場合、最も簡単に達成出来るのは敵の戦果が最大である、全機撃墜されると言うものです。確率順位1の0,0,0生存者も0です。次に確率が高いのは、最も生存能力の高いTX-1が単機で味方を犠牲にして逃げ延びた場合で、生存者はこれも0となります。3番目は、2番目に生存能力の高いB-3が単機で生き残ると言う2話でのパターンとなります。6番目のパターンとして、無人機が自分を犠牲にして有人機を逃がした場合、生存者数は5人となり一見するとこれが最も人道的と言えるでしょう。問題となるのは7番目のパターンで、TS-01が単体で生き延びると言うものですが、これはジェット機2機を撃墜出来る敵から鈍足のプロペラ機が単機で逃げ切ると言うもので確率的には全機生存の次に低い7番目の確率順位となります。4番目のパターンはプロペラ機を置き去りにしてジェット機だけ最大速で逃げると言うものですが、生存人数は2名しかいない上にそれならば、無人機もプロペラ機の援護に残した方がよく、さらに言えば実際にはB-3は敵を引き付けに向かいました。5番目のパターンとしてB-3を犠牲にして他2機が生き延びると言うものがありますが、犠牲者を出す場合には無人機も犠牲にした方がよく、そうすると7番のパターンと同じになります。敵機は4、分散して囮になっても十分プロペラ機分の余裕があります。
こうして見ると、コンピューターは確率順位的に3番目に高い確率で、生存者もいる選択をしている事になります。さらに、もし確率順位5番の起きる確率が3番の0.6倍以下、6番の起きる確率が3番の0.3倍以下の場合、3番の起きる確率をPとして、それぞれの期待生存者数は、3番が2P人、5番が1.8P人、6番が1.5P人となります。確率は大きい順に並んでいますから十分にありえる倍率と言えるでしょう。つまりは期待値としては生存人数も最大になる選択をしているとも言える可能性があります。
無人機は、あらかじめ自己を犠牲にする事は決定している上に、期待生存者数も計算上は最大になるように行動しています。つまりは十分に人道的な判断を下していると言う事も出来るのです。その上で計算上どうやってもTS-01は失われると判断して、失われる以上はB-3の生存確率を上げる為に有効活用する、つまりは期待生存者数を増やしている訳ですね。
ハーバード白熱教室のサンデル教授の質問と言うのがありました。5人を轢き殺しそうな時に1人しかいない方に線路を切り替えるか?では、それが5人を救うために1人のデブを突き落とす場合だったら、もしくは5人を救うために1人の健康な人から臓器を摘出するとしたら。設問を変えて行くごとに解答者のYESの割り合いは減っていくそうです。これは一般の人は功利主義的に考えつつも、そこに能動的殺人はしない、自然の寿命を変化させる行為はしないと言った副次的なルールを設けて、無意識の内に矛盾しながらもそれなりの判断をファジーに下しているからだと言えるでしょう。
翻って機械には、この"何となくの抵抗感"と言うものがありません。与えられた合理的判断基準に従い、躊躇をする事がないのです。ましてやジャムとの戦争と言う非常事態下であり、無人機がプロペラ機を落としたのではなく、ジャムのミサイルが落としたのです。
冒頭で、チープな機械の反乱について触れましたが、第2話や原作で描かれているのはそれとは対立する別のものと言えるでしょう。すなわち、"本当の機械の反乱"とは何一つ故障なく正常に作動しているのに、人間の思いもよらない行動を起こす事を言うのです。そしてそれは正確に言えば反乱でもなんでもなくて、ただ人間がびっくりしているだけに過ぎません。
プログラミングの得意な知合いが、中々解決できなかった不具合の原因を見つけた時に、「ごめんよコンピューター君、やっぱり君は間違ってなかったよ」と言っていました。さすがに、そこまで超越した態度もどうかと思いますが、コンピューターへの付き合い方とは、仕組みを知り挙動を理解すると言う態度で望む事が必要となってきます。その時、本当の機械の反乱とは反乱ではなくなってくる事でしょう。