サメとともにありぬ islecapeさんへのメッセージ [私的記録][私信複製]

人はどれだけ他人に干渉できるのだろう。あなたは私ではない、わたしは貴方ではない。だから、半歩引いたスタンスで楽しくおしゃべりをするのが、最も有意義なインターネットの使い方なのだ、こんにちわ。お久しぶりです、寒くなりましたね。

最近、敢えて、(と言うよりも元々それは自らの中で全く完成されていなかったのですが)メモ術、ノート術と言うものから見直してみようかななどと思い立ち、そう言った物に対して気にかけております。パソコンは、あるいは電子機器全般は、決して便利に全ての機能を包含し代替するものではない。むしろ、自分の中にある、習性や脳機能までじっくり見つめて、紙だとか言ったものの有用性を、まず古いメディアから順に再確認していくべきだ。ってな事思って色々やって..みたりしようとしています。中村玉緒の一枚ずつちぎってハンドバックに放り込んでおくメモ術、isleさんの蔵書デジタイズ行為、ブログに日記と称して自分だけの独り言のような他人にも見せたいような良く分からん心持で書く文章、始原の巨人の悩める心。万能なるマナが完璧なノート術となってくれれば良いのですけどね。

マインドマップはリーマン幾何学的に言って箇条書きと変わりないのではないか?しかし紙のスペースと言う空間的配置自体が重要な要素でもあるのだろうか。映画WANTEDのネズミ爆弾のとこで出てきた、紙にビニールが重ねてあって上のシートにはマジックで別なものが書いてあるのをパカパカめくったり戻したりしてるやつは何かカッコよくないか。早稲田カードや固い紙のメモ用紙の使い心地はどうか。記者、だとか、取材、などと言ったものはどうしてそんな事ができるのか。もしかして、勉強と言う名の教科書を眺めながら机にひたすら頭を打ち付け、中身を全て頭の中に入れてしまう修行は、他に別なやり方なども存在していたのか?

もやもやとそんな事を考えてしまいましたが、何か思いつく事や見地はおありですか?

B_D