wikipediaを読むとは

wikipediaを読むとはどう言う事なのだろう?
とみに日本のwikipediaではアニメやゲームの設定資料集などから丸写ししたようなwikiの表記も多いが、(それ自体を批判しているわけではない)、それを実際に読んでいるとき、「ふむふむ」などと言いながら有る程度知っている事を流し読みしつつ、一部違う部分があれば、自分で書き直すのである。

これは、よくよく考えてみると奇妙な事で、それならば自分は情報を得ようとしていたのだろうか、それとも発信しようとしていたのだろうか? 少なくとも広く発信される情報を正そうと言う意図で読み始めた訳ではないのは確かだが、同時に自らの判断で修正を加える事には何の躊躇も感じない。
なんと言うか、読みつ書き直しつは"それはそれであり"なのである。

一つ、考えたのは...
言葉の意味とは、常に皆が辞書を引き、正しい意味でのみ使うものではなく、日常の中での登場の仕方から、個々人がなんとなくのニュアンスをつかんでおいて、それらにある程度多人数での共通性がある事から会話において使用出来ると言った面がある。
そうすると、本来の意味で合っている間違っているではなくて、"多人数の共通認識としての定義"としてwikipediaが目安になるのではと言う事である。

かつて、wikipediaなど便所の落書きと変わらないと言った科学者が居た。どちらかというと、極論でなく私も同意見だ。しかし、その割には使っていた時の奇妙な感覚しかり、コミュニケーションの一形態としての可能性しかり、本質さえ了解していれば非常に高い有用性があると言える。
そう、必ず正しい結果が出るのではない事さえ知っておけば、電卓が非常に便利であるようなものである。